![]() |
画像出典:NHK Herbert von Karajan |
こんなジョークを聞いたことがあります.
ペットショップでの会話
客 「うわあ,このオウムは千ドルもするのかい?」
店 「はい,こいつはモーツァルトのアリアを完璧に歌えるもんで」
客 「じゃあ,こっちの二千ドルのは?」
店 「そいつはワーグナーの楽劇をすべて歌えるんですよ」
客 「お,一万ドルのもいるじゃないか,こいつのはさぞや凄い歌なんだろうね」
店 「いえ,何も歌わないんですが,他のオウムが歌ってると羽ばたくんです」
そんなわけで(どんなわけだ?),今回の話題は,楽壇の帝王の異名をとる指揮者,ヘルベルト・フォン・カラヤン.
先日,NHK-Eテレで,「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」と題して,1950年代の,カラヤンの来日公演の模様が放送されました.
ちょうどベルリンフィルハーモニーと終身首席指揮者兼芸術総監督の契約を結んだ直後で,まさに脂が乗り切った状態なのでしょう.
子どものころは,「指揮者って,自分で音を出すわけじゃないのに,偉そうにしてんな」
少し知恵がついてくると,「音楽に合わせて身体動かしてるだけやん」
大人になると少しは指揮者のお仕事が分かってきたのですが,身振り手振りで望む音を出させるのは相当な肉体労働だろうな,程度の思いでした.
![]() |
| 指揮者のイメージ (テオ・ツァッシェ作の風刺画) |
今回の番組でのカラヤンの指揮ぶりは,こんなイメージを改めて払拭させられるものでした.
ひと言で言うとスマート!
「帝王」というと,オーケストラを強引にねじ伏せるイメージがありますが,実際はオーケストラの主体性に任せ,必要最小限の指示で自身の想いを伝えているように見えます.
指揮者によっては,思わず失笑してしまうような身振りの方もいらっしゃいますが(何様?),さすが帝王,演奏の間はほとんど眼を閉じ,無駄な動きをそぎ落とした流れるような堂々たる所作,誰が見てもカッコいいと思うのではないでしょうか.
クラシック音楽の評論って,「心の内面をえぐる,魂の慟哭」とか,「大宇宙を自分の掌で自在に操る」とか,分かったような分からないような表現をされることがたまにありますが,帝王の指揮は単純明快,「こんな指揮されたら,自分でも演奏できそう」と思わせる何かがあります.これこそがカリスマ性なんでしょうね.
ベートーベンはこんな演奏を想像しながら作曲したのだろうな,と思わせる珠玉の名演でした.
評論家 「今夜のは,一段と透明感溢れる演奏だ」
指揮者 「いや,まだ始めてませんが」
![]() |
画像出典:NHK Berliner Philharmoniker |



0 件のコメント:
コメントを投稿